また90年代のサブカル界隈では、あえて悪趣味な行動や発言を好む“鬼畜系”なるムーブメントがあったのも事実。
小山田氏の“いじめ武勇伝”や、その内容を躊躇なく掲載した編集サイドの意向が、そうしたムードに支えられていたことは想像に難くありません。インターネットが普及していなかった当時、これが炎上することもなく、普通に流通していたのです。
偽悪や露悪趣味を誤解していたがゆえの事例として、小山田氏の一件をこう論じています。
<変な話ですけど、ギリギリのところでモラルを守るというか、モラルを理解した上で(当時としては)ギリギリのところで遊ぶのが悪趣味/鬼畜系だったし、何度も書いてますが、実際に鬼畜行為に及ぶことを推奨していたわけではないのです。
それを鬼畜行為の当事者として、著名なミュージシャンが反省もなく面白おかしく語るというのは、頭おかしすぎなんですよ、当時としても。普通に考えてリスク高すぎです。
誰も彼もが時代の空気に浮かれていたとしか思えないし、そもそも流行りに乗っかってみただけで、何もわかってなかったんだと思います。>
(『90年代サブカルの呪い』より)
薬物や不倫とは次元が違う
実際のいじめエピソードはもちろん、こうした耐え難い軽さを感じたからこそ、ネット世論も一斉にNOを突きつけたのでしょう。それは、野次馬根性からくる“ネットリンチ”とも違う。
小山田氏の“汚点”は、25年以上経った今も、本質的で決定的な拒否感を呼び起こすほど、むごたらしいと言わざるを得ない。
違法薬物や女性問題などが報じられるたび、ミュージシャンの作品と人格についての論争が巻き起こります。ところが、今回の小山田氏については、そうした形で擁護する人がほとんどいません。
やはり、これは次元の異なる、実際的な悪として処理すべき問題なのでしょう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc237c681acb3755b22980a7886c6278ce858a33?page=2
※上記リンクより、一部抜粋。続きはソースで
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Source: アルファルファモザイク
東浩紀「25年前の記事を今の基準で叩くなよ」ロマン優光「小山田圭吾のイジメは25年前でもドン引きしたぞ」