1916年アインシュタイン「ブラックホールという概念が存在する」→1972年初めて観測される

2chnavi

1: 風吹けば名無し 2019/11/12(火) 13:47:13.54 ID:LHbtMklfa.net 

4: 風吹けば名無し 2019/11/12(火) 13:48:13.46 ID:6nRzE8JY0.net
いつも思うけどこいつだけフィクションの人物みたいで草

5: 風吹けば名無し 2019/11/12(火) 13:48:28.18 ID:Ok3DuQgBd.net
ブラックホール実在しとるかは怪しいって言ってたぞ
理論上は存在する可能性はあるが実在しとるとは思わんって

37: 風吹けば名無し 2019/11/12(火) 13:58:18.56 ID:ejLsBriS0.net
ブラックホール提唱したのアインシュタインちゃうで

ブラックホールの理論的可能性については、18世紀後半に先駆的な着想があった[11]。ピエール=シモン・ラプラスは、アイザック・ニュートンの提唱した光の粒子説とニュートン力学から、光も万有引力の影響を受けると考え、理論を極限まで推し進めて「十分に質量と密度の大きな天体があれば、その重力は光の速度でも抜け出せないほどになるに違いない」と推測した[11]。また、イギリスのジョン・ミッチェルも同様の論文を発表した[12][11]。しかしその後、光の波動説が優勢になり、この着想は忘れられた[13]。

現代的なブラックホール理論は、アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論が発表された直後の1915年に、理論の骨子であるアインシュタイン方程式をカール・シュヴァルツシルトが特殊解として導いたことから始まった[10][13]。シュヴァルツシルト解は、時空が球対称で自転せず、さらに真空であるという最も単純な仮定で一般相対性理論の厳密解を導くことで得られた。アインシュタイン本人は一般相対論で特異点が有り得ることを渋々認めていたものの、それはあくまで数学的な話であって現実には有り得ないと考えていた[14]。

1930年に、インド出身でイギリスに留学に来ていた当時19歳のスブラマニアン・チャンドラセカールが、白色矮星の質量には上限があることを理論的に導き出し、質量の大きな恒星は押しつぶされてブラックホールになると、ブラックホールの存在を初めて理論的に指摘したが、当時の科学界の重鎮アーサー・エディントンがまともに検討することもなく頭ごなしに否定した[15][注 1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB

続きを読む

Source: 暇人\^o^/速報
1916年アインシュタイン「ブラックホールという概念が存在する」→1972年初めて観測される