この記事はアルファルファモザイクで話題になったネタを羅列して紹介している記事です。
2018年、麻布十番を女性と歩く志村さん
今年、志村さんは東京五輪の聖火ランナーも務める予定になっていた。走るからには「かっこよく走りたい」と、体力づくりに余念がなかったという。
「めったに自分のことは話さない志村さんですが、地元の東村山を走ることを『生きていたらお母さんが絶対に喜んだよね、天国からも見てほしいな』と感慨深げに話していました」(前出・テレビ局関係者)
◆たった一つの後悔があったか
70才という年齢に向き合い、自分が元気でいられるのはあと何年だろうとふと考える。過去の仕事を振り返り、やり残したことがあったのではないか、まだ挑戦すべきことがあったのではないか、志村さんもそんなことを考えていたのかもしれない。
「志村さんは日本のお笑い界を変えた1人です。コメディアンとしてプライベートで抱える悩みや問題を決して表に出すことはなかった。とにかくその点は徹底していました。
女の人とつきあって別れるときも、恨まれることなく相手の思う通りに責任をとるといいますか…。それも揉めないためだった気もします。そんな志村さんが自分の結婚についてや、かつて確執も報じられたいかりやさんについて語り始めたのは長く志村さんを知る人たちにとっては驚きでした。
それにここ最近、志村さんは冗談めかしてではなく『子供を遺したいなぁ』と話すようになっていたんです」(前出・志村さんの知人)
志村さんに「結婚しなくていいから、経済的には絶対苦労させないから、オレの子供を産んでくれないか」と声をかけられた30代女性がいる。志村さんの口説き文句は初めは冗談にしか聞こえなかった。でも、度重なる「お願い」と飄々とした表情に「本気なのかもしれない」と感じたという。
「自由に生きてきて、倒れる前日まで好きなお店で飲んだり、遊んだりして、みんなに惜しまれてこの世を去る。志村さんとしては理想の最期のようにも思えますが、子供のことだけは本気だったんだと思います。何も後悔がないように見えますが、子供を遺したかったなぁというのは、たった1つの後悔だったのかもしれません」(前出・志村さんの知人)
結婚したい、子供もあきらめてないと60才を超えた近年でこそ、インタビューで答えたが、若い頃は独身貴族という言葉は志村さんのためにあるというほどやりたい放題。結婚願望があるかないかというより、かなり移り気で志村さんについていける女性はなかなかいなかったという。
「それに、志村さんはとにかくお母さん子。母親の目が絶対というのもあったでしょうね」(前出・志村さんの知人)
※女性セブン2020年4月16日号
Source: アルファルファモザイク
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