1993年の記録的冷夏は、20世紀最大級ともいわれる1991年(平成3年)6月のフィリピン・ピナトゥボ山(ピナツボ山)の噴火が原因で発生したと目されている。夏の気温は、平年より2度から3度以上下回った。
この不作への対応として、日本政府が各国に米の緊急輸入の要請を打診した。この打診にタイ政府はいち早く応え、日本国政府は「取りあえず、保管している米を輸出して欲しい」と要請。タイ政府は、自国の備蓄在庫を一掃する形で日本政府の要請に応えている。
当初日本政府は、日本人の味覚に合ったアメリカ産米や中国産米を主食用として流通させ、タイ米などのインディカ米は加工用原料として輸入することを考えていた。しかし、アメリカ産米や中国産米は輸入量が揃わず、結局主食用にもタイ米を流通させざるを得なくなった。
しかし大量に輸入したタイ米は、日本人の嗜好や、炊飯器を使用した調理に適合せず、不人気であった。新聞やテレビ等では、タイ米の本来の調理法や、日本米と同様の感覚で食べられるように工夫する調理法などが特集されたが、需要を回復するに至らなかった。結果、日本国政府は、日本米とタイ米のブレンドを推奨し、インディカ米とジャポニカ米とのブレンド米が販売され、日本のコメ不足に苦肉の策で対処した。
しかし、日本米とタイ米のブレンド米は、ご飯に生米が混じったような不味い食感になり、かえって悲惨な結果となった。また「輸入したタイ米からネズミの屍骸が発見された」[注釈 1]、「タイ米の米袋から、錆びた釘が発見された」などの事例を取り上げた報道等が、日本国内のタイ米不人気に拍車を掛けた。
タイ国内では米価格が高騰して、餓死者も出るなど混乱が生じたにもかかわらず、事態終息以降に大量に売れ残ったタイ米は、不法投棄されたり家畜の飼料にされたりするなど、産業廃棄物(食品廃材)として処理され、タイ国内の混乱を知る者からは、これを悲しむ声も挙がった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95
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Source: 暇人\^o^/速報
1993年の日本政府「大枚はたいてタイ米買った結果」