今年3月31日で閉店した「セブンイレブン東日本橋1丁目店」(東京都中央区)のオーナー齋藤敏雄さん(60)が、本部から2月末に閉店の通知を受けた後に失踪していたことがわかった。
閉店に追い込まれた原因は、特定の地域に集中して店舗を出店するセブンイレブン本部の「ドミナント戦略」だとして、オーナーの妻・政代さん(52)が4月15日、
都内で記者会見を開き「家族で必死で働いてきた中、セブン-イレブンは次々に店舗を作り私たちを苦しめた。血も涙もない会社だ」と訴えた。
◆近隣にセブンが乱立、売り上げが激減
同店は2010年2月にオープン。翌年の2011年以降、徐々に売り上げは上がりピーク時には1日で120万円を売り上げることもあったという。
政代さんは「2013年には本部側の人から家を買ったらどうかと勧められ、ローンを組んで自宅を購入した」と話す。
しかし、状況は2014年に一変。向かいにあったローソンが撤退後、跡地にできたのはセブン-イレブンの別店舗だった。政代さんは「その話を聞いたのは、開店のたったの約2ヶ月前。
話が違うと本部に訴えたが聞いてもらえず、せめて自分たちの店舗の近くではチラシを配らないで欲しいと訴えたがそれも聞き入れてもらえなかった」と話す。
1日に100万円ほどあった売り上げはその店舗のオープンを境に激減。1日に約50万円まで落ちた。
政代さんは、「貯金していた1000万円も3年くらいで全部なくなった。私は従業員の人件費を払うため、ドラッグストアで働きに出てその収入をアルバイトの給与に回していた」
「店の経営だけではなく、家族の生活もどんどん苦しくなった。食事は賞味期限が切れ販売できなくなった廃棄食品。靴下などの生活用品もすべてセブン-イレブンのものだった」と話す。
◆人手不足で近隣店舗とアルバイトの奪い合い
近隣に店舗ができたことは、売り上げ減だけではなく、深刻な人手不足も引き起こした。
「従業員の欠勤やシフトが足りない時は、穴を埋めないよう常に私や夫が日勤も夜勤も代わりに入っていた。
じきに他店舗とは時給を上げるなどの競争が生まれ、『体調が悪くなった』と退職したアルバイトが、翌日、近隣の他の店舗で働いているのを見かけたこともあった」と政代さんは指摘する。
人手不足に苦しむ両親のために、2人の息子たちも学業の傍ら家業を手伝った。
「長男は中学校1年から週に3、4回手伝ってくれた。高校に入ると夜勤にも入り、外国籍のアルバイトに日本語を教えながらやっていた。
次男も、高校に入ってからは週に3、4回シフトに入っていた」(政代さん)。
しかし、家族の必死な努力にもかかわらず、次々に近隣にセブン?イレブンの店舗がオープンし、売り上げは回復しなかった。
大学に行く資金がないため、進学を諦め店で働いていた長男の栄治さん(当時19)は2014年9月、夜勤後に自ら命を絶った。
政代さんは「大学進学できなかったことが原因だったのではないか。本当に申し訳ないことをした」と涙ながらに打ち明ける。
◆「持病で死ねるかもしれないと思った」オーナーが失踪
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Source: 暇人\^o^/速報
「セブンイレブン本部は血も涙もない」店舗乱立で閉店に追い込まれオーナー失踪