農家に生まれる
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高卒、ダンボール工場に就職
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働きながら勉強し法政大学に入学
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政治家を目指し、周囲の猛反対の中妻子持ちで現職相手の選挙に立候補し当選
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脱世襲、脱派閥で内閣官房長官にまで上り詰める
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元号発表
ワイ「」
秋田県雄勝郡秋ノ宮村(後の雄勝町、現:湯沢市秋ノ宮)中央部旧国道沿いに家があった農家に長男として生まれる[1]。家族は父、母、姉2人、弟1人。父・菅和三郎は、満鉄職員として当時満州国の首都だった通化市で日本の降伏を迎えた。引き揚げ後、郷里秋ノ宮で農耕に従事。「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任し、2010年に93歳で死去した。母や叔父、叔母は元教員であり、2人の姉も高校教諭となった[2][3][4][5][6]。
雄勝町立秋ノ宮小学校(現:湯沢市立雄勝小学校)卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現:湯沢市立雄勝中学校)に進学する。中学卒業後は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に2時間かけて通学し、第3学年では進学組に所属した。後に、フライデーから「特に目立った成績ではなく、姉が進学した北海道教育大学を受験したが不合格となった」と報道されたが、森功の取材では菅本人は当時教員にだけはなりたくないと考えており、北海道教育大の受験はしていないと述べている。父から農業大学校への進学を勧められたが断り、高校卒業後、集団就職で上京する。「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京したが、秋田時代と変わらぬ日々を板橋区の段ボール工場で過ごし、現実の厳しさを痛感する。上京から2年後、当時私立大学の中で一番学費が安かったという理由で法政大学法学部政治学科へ進学する[7][8]。1973年、法政大学法学部を卒業し、建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に入社した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/菅義偉
これは主人公
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Source: 暇人\^o^/速報
ワイ「菅官房長官とかいう男、どうせ上級家庭のボンボンなんやろなあ……」 →