韓国人「戦犯国の日本が分断されず、なぜ朝鮮半島が分断されたのか」

アルファルファモザイク

「朕は深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置をもって(中略)米国、英国、中国、ソ連4カ国について、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾する旨を通告せしめたり。」

1945年8月15日正午、日本の天皇が日本人に朗読した終戦詔書だ。
侵略戦争についての反省も、被害に対する謝罪も一切なかったが、とにかく降伏宣言だった。
朝鮮は独立を迎えたが、光復の喜びは長くは続かなかった。
朝鮮半島は米国と旧ソ連の分岐で腰が真っ二つになった。
戦争を挑発した加害者の日本は分断されなかったのに、植民地時代の被害者である朝鮮はなぜ重ねて悲劇に会ったのだろうか。

ロシア史を専攻した日系アメリカ人の歴史学者の長谷川毅ワシントン大名誉教授が書いた「終戦の設計者」は、多角的な考証を通じて新しい分析を提示する。
アメリカの原子爆弾投下が日本の白旗投降を引き出したという史学界の通説とは異なり、ソ連の遅れた参戦が日本の降伏につながったという論理を広げる。
米国の原爆投下の正当性を揺るがす主張が続き、2005年に米国で出版された時、大きな議論を呼んだ。

太平洋戦争で敗北した日本の戦後処理過程をめぐって、米国、ソ連、日本などの締約国は、一寸の譲歩のない激しい交渉を行う。
「終戦の果実を、誰がよりたくさん持っていくのか」をめぐってだ。
戦況は早目に傾いたが、戦後秩序を有利に導くためにそれぞれが頭を転がして、終戦は「遅延」した。
日本は、日本の降伏条件をめぐって互角に対抗し、締約国の角逐と暗闘を緊迫して描き出した。
真珠湾空襲で自尊心に大きな傷を負った米国は、日本に無条件降伏を要求する。
1945年8月6日と9日、広島と長崎に原子爆弾を相次いで投下したのは、日本を締めつけるための最後通告だった。

※下記リンクより、一部抜粋。続きはソースで
http://oboega-01.blog.jp/archives/1074091891.html

Source: アルファルファモザイク
韓国人「戦犯国の日本が分断されず、なぜ朝鮮半島が分断されたのか」